今回のテーマは「保守」です。
「保守派」「保守主義」という言葉は、自称・他称、様々な場面で使われています。
世間で言われているいわゆる「保守」とは、「自らの政治的立場を明確化する」ために使用する、または「レッテル張り」が多いのではないでしょうか。
今回の総選挙では「改革保守」を掲げる希望の党、「私こそ保守だ」と発言してきた立憲民主党の枝野幸男氏など、「何が保守で、何がリベラルなのか」わけのわからない政治状況になっていたと思います。また、地方議会においても「保守系無所属」というスタンスの議員は多く、まさに「保守乱立状態」と言えます。
そこで、今回は月刊正論12月号に掲載されている評論家 江崎道朗氏&文芸評論家 小川榮太郎氏による対談「現代の保守に求められるもの」を取りあげ、保守とは何かを考えていきます。
基本的な保守の概念とは何か?
結論から書くと、江崎氏は対談の中で基本的な保守の概念について次のように述べています。
江崎氏曰く『「日本が日本として生き残っていく」ということ、さらにいえば皇室の伝統に敬意を表し、そこにこそわが国の本来のあり方があるのだ、という認識に尽きるのだと思います。(273~274ページ)』
この内容こそ、「日本の保守」を的確に表したものではないでしょうか。
ということで、今日のblogは終了です。
・・・というわけにはいかないので、しっかり述べていきます。
対談では、今回の選挙の総括から始まり、戦前・戦後の我が国の政党政治について話されています。その中で、ヨーロッパでは冷戦が終結したが、アジアでは中国共産党や北朝鮮が残っているにもかかわらず、自民党及び保守派論壇における国際情勢を認識の誤りが、政治的・思想的な混乱をもたらしたのだと、江崎氏は述べています。
そして、「保守とは何か」を考えるにあたって、江崎氏が述べた次の二点こそが「日本の保守」とは何かを考える最大のキーワードです。
『自民党は本来、自主憲法制定を始めとする「独立回復」と「国民経済の再建」の2つの大目標を持っていたはずですが、それを見失ってこの20年、漂流していました。しかし、2つの大目標の追及こそが本来の自民党に、何よりも日本の立て直しに必要だと定め直した、これが第2次安倍政権での安倍首相の功績だと思うのです。(270ページ)』
『さらにいえば、日本は明治維新以降、「日本が独立国家としてどう生き残るのか」と「生き延びるだけではなく、いかにして日本が日本であり続けられるか」との2つの問いに直面してきました。私が近著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」で書いたのは、日本が生き延びることを優先するあまり「日本が日本であること」を忘れたエリートたちが、結果的に自己を見失って政党政治や議会制民主主義を混乱させ、ソ連・共産主義勢力による謀略に振り回されてしまったという悲劇です。安倍首相はこの2つの問い、つまり生き延びることと日本が日本であり続けることの重要性を踏まえて政治を行っているのですが、その意味がほとんど理解されていないことが「保守」の混乱の原因だと思わざるを得ません。(270ページ)』
日本が明治維新以降、独立国家として生き残るために「日本らしさ」を捨ててまで、生き延びることを優先した、その結果、ソ連・共産主義勢力の謀略に振り回されてしまった、このことは江崎氏の著書「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」を読んでいただければ非常に詳しく書かれています。
「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」一部を引用います。
『戦前の日本は「エリートの日本」と「庶民の日本」に分裂し、しかも「エリートの日本」は皇室を戴く議会制民主主義や自由経済を支持する「保守自由主義」を奉じる人々と、社会主義に共鳴し、言論統制を好む「左翼全体主義」と、皇室を尊崇しながらも、言論統制を好み、政府による統制経済に親近感を抱く「右翼全体主義」の三つに分かれ、混乱していたのだ。(コミンテルンの謀略と日本の敗戦より引用)』
江崎氏が述べた「生き延びること」とは国家の外交・防衛であり、「日本らしさ」とは皇室の伝統に敬意を表し、そこにこそ「わが国の本来のあり方」があるのだ、という認識です。
そして「我が国の本来のあり方」とは、聖徳太子の十七条憲法や歴代天皇の政治思想、特に明治日本の理想として掲げられた「五か条のご誓文」における「万機公論に決すべし」という自由主義的な政治思想、そして帝国憲法における「君民共治」の独立国家として民のための政治を行い、自由を守っていく、それが「日本のあるべき姿」です。
そして、戦後政治では自由民主党が長期政権を担いました。自由民主党の立党の精神は、自主憲法制定を始めとする「独立回復」と「国民経済の再建」の2つの大目標です。
私は自由民主党が掲げた独立の再建と国民経済の再建は「日本が生き延びること」「日本が日本であること」と同じ理念であったと思います。
自由民主党が結党した時代には、「我が国の本来のあり方」を政治家が理解していたからこそ、自主憲法制定と国民経済の再建が立党の精神であり、立党の原点にあるのではないでしょうか。しかし、冷戦終結後、またはそれよりも前に、自由民主党は方針を見誤り、漂流していたことは事実です。93年に自由民主党が野党に転落した際には、当時の河野洋平総裁は「自民党の政綱から自主憲法制定を外す」という暴挙に出ています。
神奈川新聞:河野洋平氏へのインタビュー記事
自由民主党が本来の政治目標を見失い、漂流した時代は確かにありました。
第二次安倍内閣における安倍首相の功績は、自由民主党が本来の保守政党としての大目標に立脚して日本の立て直しを定めたことにある、その意味がほとんど理解されていないことが「保守」の混乱の原因だと思わざるを得ません。
いかかでしょうか。ここまで、ほとんど江崎氏の発言のみを引用させていただきました。これ以上江崎氏の発言と小川氏の発言を引用すると、正論12月号の対談内容のほとんどを引用することになるので、全文は是非書店にてお買い求めください。
http://seiron-sankei.com/recent
さて、ここからは、私の感想と経験談を述べていきます。
我が国の保守の本来の概念は江崎氏が述べたように『「日本が日本として生き残っていく」ということ、さらにいえば皇室の伝統に敬意を表し、そこにこそわが国の本来のあり方があるのだ、という認識に尽きる』と思います。
しかし、残念ながら、ここまで「日本における保守とは何か」を議論する機会は皆無です。正確に述べれば、地方議会議員になって「保守とは何か?」を議論することはありませんでした。
特に地方政治の場においては、「自民党を支持していれば保守」とか「保守系無所属」さらには「新しいことに抵抗する人が保守」というイメージだけが先行して区分けがされているという散々たる状況です。
「自民党を支持していれば保守」だと考える人がいます。例えば、農政や国土交通政策において「政権与党でなければ予算がこない」という政治の現実を踏まえているからこそ「自民党支持」という支持層もいます。もしこの支持層が「安全保障」「憲法改正」は後回しにせよと述べるのであれば、果たして「保守」なのでしょうか?
市町村議会では政党に所属せず「無所属」で立候補する議員が多く、党籍がなく無所属で当選した議員の中で、「保守系無所属」と言われる方々がいますが、果たしてどのような政治思想をもって「保守系」なのでしょうか?
さらに「保守」とは温故知新の政治思想であり、古き悪しき物事に固執する「守旧派」ではありません。「保守≠守旧」は全く違います。
こうした「保守」という言葉を巡る混乱は、地方政治の場だけではなく、国政の場においても希望の党の「改革保守」という意味不明な言葉や、立憲民主党の枝野氏による「私こそは保守」という言葉に象徴されるように、国政における混乱を生み出しています。
ただ、野党だけではなく、自由民主党の議員においても「自由民主党がなぜ保守政党なのか」という所属政党の本質を知ろうともしない議員がいるのではないでしょうか。
自由民主党の役割は、予算を選挙区に配分するだけではないということを付け加えさせておきます。
政治に身を置くものとして、地方議員同士の話し合いの中で、市民との対話の中で「保守」とは何かを話す必要はあると思います。
最後に大切な言葉なので、もう一度書きますが、基本的な保守の概念とは「日本が日本として生き残っていく」ということ、さらにいえば皇室の伝統に敬意を表し、そこにこそわが国の本来のあり方があるのだ、という認識に尽きるのだと思います。
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