平成29年須賀川市戦没者追悼式
須賀川市遺族代表として登壇された佐久間健さんの追悼の言葉に涙が止まりませんでしたので、紹介します。
佐久間さんの父上様は、昭和19年に召集がかかり、戦地に出征しました。出征時の父上は「白襷を十時にかけて出発した」と佐久間さんは話されました。
戦死公報が家族のもとに届いたのは、終戦後の昭和21年。御遺骨を収容した白い箱を受け取りに行く際には、佐久間さんは長男でしたが、当時はまだ幼かったため、母上が御遺骨の受け取りに出向いたそうです。佐久間さんは、このことを「やはり長男として受け取りに行くべきであった」と悔やまれています。
受け取った白い箱を開けてみると、中には何もなく、ご家族は父上の遺髪と爪を入れて納骨したそうです。
佐久間さんの母上は家族の前で、亡父の遺書を読み上げ、遺書には「陛下の赤子として出征する覚悟」が書かれていました。亡父の遺書について、「幼少期には意味が難しく分からなかったが、大人になってから読み返すと、その意味がようやく理解できた」と話されました。
佐久間さんは追悼の言葉の中で「日清、日露、大東亜戦争の意義を確認する必要性」「当時の人々の考えを現代の基準で判断する誤ち」を述べ、最後にイギリスの作家「ジョージオーウェル 」の言葉を引用し、追悼の言葉を締めくくっています。
「平和主義者たちが暴力を放棄できるのは、ほかの人々が彼らに代って暴力を行使してくれるからだ」
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