昨日は須賀川後藤新平の会通常総会
「なぜ後藤新平と須賀川?」と疑問に思われた方がいるかもしれないので、説明します。
後藤新平は明治7年、17歳で、須賀川医学校(現公立岩瀬病院)にて、医学を学びました。
家が貧しかったため、いつも着る物は破れ目を紙よりでとじ合せ、「ちんばの下駄」というみずぼらしいものでした。
そんな新平を街の人達は、「下駄はチンバで着物はボロよ心錦の書生さん」とはやしたそうです。
ところが、身成は悪くても、新平の美男子ぶりは校内で評判でした。
http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/story/04.html
須賀川市にとって、ゆかりのある偉人であり、須賀川後藤新平の会では、出身地である岩手県水沢市との交流を深めています。
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