本日は8月15日、72回目の終戦の日であり、小生の32歳の誕生日でもあります。多くの皆様から誕生日のお祝いメッセージを頂きました。誠にありがとうございます。
さて、今日のblogには「8月15日に生まれて」というタイトルをつけました。
(アメリカ映画タイトルみたいですねw)
私が生まれたのは「昭和60年8月15日の昼頃」と聞いています。この日は当時の総理大臣 中曽根康弘氏が「靖国神社に公式参拝」された日として記録されています。
(ちなみに、この年の8月13日には御巣鷹山日航機墜落事故が発生しました)
「8月15日が誕生日です」と話をすると、「終戦の日に生まれたんですね」と驚かれます。市議会議員になってからは、さらに驚かれるようになりました。
本日も様々な方から「今日が誕生日なんて運命を感じますね」と言われています。
確かに…8月15日に生まれたことは、子供の頃から、「何らかの運命」を感じていました。運命というか、使命というか、さだめというか…ぼんやりとした「何か」が常に考えていたと思います。
そのぼんやりとした「何か」は、航空自衛隊に入隊後は「国防の任務」になり、市議会議員として当選後は「全ては故郷の発展の為」と形は変われども、「世のため人のため、国家、国民のため」という方針は変わらなかったと思います。
「8月15日に生まれた」意味は何か。高校生になると、その答えを見つけるべく、靖国神社に向かいました。
高校時代から靖国神社に通い続け、自衛隊在職中も、8月15日ではありませんが、度々靖国神社に参拝しています。
自衛官時代には「国家と国民の為に散華された先輩方に、慰霊と鎮魂の祈りを捧げる」という思いが強く、特に「旧軍の先輩方」への敬意を持って祈りを捧げてきました。
(特に市ヶ谷勤務時代は、度々靖国神社に参拝してきました)
終戦から72回目の本日は、初めて須賀川市議会議員として、所属する日本会議地方議員連盟の一人として、昇殿参拝を行いました。
写真:今年の8月15日の靖国神社は雨でした
【議員】としての昇殿参拝
待機場所である参昇殿「桜の間」には、全国から地方議員が集まります。
元々は靖国神社を参拝する東京都議会議員の会の皆様が始まりで、その後、日本会議地方議員連盟との合同での参拝となったようです。
写真:靖国神社参昇殿桜の間
昇殿参拝された方はご存知かと思いますが、本殿には御鏡があります。この御鏡を凝視すればするほど「彼の世と此の世が繋がっているのではないか」と感じます。
先の大戦において、前線の兵士たちは「靖国で会おう」を合言葉に、靖国神社での再会を誓い、激戦地において散華されてきました。戦地から無事に帰還した戦友や、父や兄を失った遺族の「心のよりどころ」となったのが靖国神社です。
日本人の「心」と「想い」を受け入れてきた靖国神社の御鏡に、人知を超えた何かがあっても不思議ではありません。
もしかすると、御英霊の皆様から「しっかりしろよ!」と喝を入れられたかもしれませんね。
日本の独立を守り抜くこと
8月15日に靖国神社を参拝することで、感じることは人それぞれです。
私は、この日に生まれたことで「自分の運命」を再度確認に来ています。
私たちの祖先は、日本の独立を守り抜くために、自らの命を投げ打って使命を遂行されてきました。だからこそ、今の日本が存在するのです。
では、今を生きる私たちに課された使命とは何か、それは「日本の独立を守り抜き、真の意味での平和国家を築く」という意味ではないでしょうか。
福沢諭吉は「一身独立して、一国独立」「独立自尊」を説いています。独立した個人こそが国家を支える基本であるという考えであり、誰かに頼るという人間ばかりでは社会は腐敗してしまうが、自分が国家を支えようと努力する人間が揃ってくれば社会は繁栄し国家は潤うという考えです。
明治以降、日清、日露、日支、大東亜戦争を懸命に戦い抜いた先人たちは、福沢諭吉が求めるように、一人一人が独立した個人であり、大日本帝国を支えようと必死で戦い抜きました。それは、御英霊の遺書から読み取ることができます。
私は「独立自尊」を座右の銘として、日本の独立を守り抜くために、政治活動を邁進していきます。
写真:戦没者追悼式中央国民集会前にて
昇殿参拝後、戦没者中央国民集会に参加し、靖国神社を離れて帰路に就く際に、「全ては国家・国民のために精進せよ」と、御英霊の言葉が聞こえたような気がします。32回目の8月15日の午後でした。
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