昨日のすかがわtalk.vol5
現在の須賀川市博物館から見えてくること、新たに作成される円谷英二ミュージアムから見えてくること、様々な視点で「須賀川のまち」を見て、聞いて、考えることが出来ました。
このトークイベントに参加される「市外在住のゲスト」の方々は、「須賀川市は地域資源が溢れるまち」だという感想を話しています。
今回のゲスト、丹青社の粟国さんも「円谷英二を全面に出して使えるのは須賀川市だけ」「円谷英二ミュージアムのプロジェクトチームは、会社の命令ではなく立候補して参加している」という須賀川市民としては嬉しくなる話がありました。
しかし、「円谷英二」という「単語」は須賀川市民とって、「よく聞く単語であり、むしろ聞き飽きた単語」になってきています。
「身近すぎて当たり前になる」そのために地域資源の価値が分からなくなってくる、それは須賀川市博物館も同様です。来年50周年を迎える須賀川市博物館は、県内で最も早く開設された公立博物館です。特に中心市街地の中にあり、「歩いていける街場の博物館」という立地の良さが特徴です。(郊外の博物館は多数ありますが、街の中に博物館があるのは珍しいとのこと)
しかし、須賀川市民にとって市の博物館ははっきり申し上げると、「古くて、内容は変わらない、近いからいつでも行ける=だから行かない」という感想です。
どれだけ地域資源があったとしても、その地域資源を「宝」だと認識せずに「石ころ」だと認識すれば、地域資源は埋もれたままになります。
それは今回の「円谷英二」「博物館」だけではありません。中心市街地の有効活用できるエリアや、空き家、空き店舗を、どのように見るかによって、まちづくりは変わっていきます。
地域資源を「宝」だと見るか、「石ころ」だと見るか、結局はまちづくりに必要なのは「地域資源を見る目がある人(まちづくりのプレイヤー)」ではないかと、感じています。
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